-Forest Times Special Feature- THE 14th ISSUE of 2023
~「ありがとう」も「ごめんなさい」も、後でではなく、すぐに伝えよう!~
著者:村山 順子(一般社団法人 神戸暮らしの学校 代表理事)
新年明けましておめでとうございます。
お正月、ご両親、ご兄弟、お子さん、お孫さん、会いたい方々にお会いできましたでしょうか。
会いたい人にすぐに会えるって、なんて嬉しい事でしょう!
宮崎のケアハウスに居る、寝たきりの93歳の母。
コロナで面会禁止でしたが、やっと少し緩和され、昨年の10月末、2年8ヶ月ぶりに会いに行けました。
一日一組2名まで、15分以内の面会の許可が出ました。
面会者は、ワクチン4回接種済、PCR検査陰性後2日以内である事。
厳しい条件でしたが、一刻も早く母に会いに行こう!と、すぐ下の妹と日帰りで宮崎へ。
目も見えなくなり、テレビを見ることも、ラジオの操作もできない母。
もしかしたら私たちのことも分からなくなっているかも・・と、ドキドキしながら母の部屋に。
痩せ細り、一層小さくなっていた母。
思わず駆け寄り、母の顔を両手で包み込み、真っ白になった髪の毛を撫でて、妹と代わる代わる脚を摩り、手を握り、「ありがとう!」と声をかけ続けていました。
こんなに母の身体を撫でたことは、今までになかったと思います。
限られた時間!私たちの手は、いつも母のどこかに触れていました。
「長い間会えなくてごめんね、会いたかったよ!」と言うと、母の目から涙が溢れました。
母は私たちのことが分かっていたのです。
誰とも話す事が殆どない母が、どのように気持ちや記憶を保ってこられたのだろう?
すぐに分かりました。
母は、いつも子どもたち孫たちの名前を声に出して、幸せを祈っている・・と話していました。
呪文のようにいつもいつも、私たちの名前を、口に出して言い続けていたからだと思いました。
18歳で私を生んでくれた母。そのあと妹弟が生まれ、子どもが5人に。
現金収入の少ない鹿児島県沖永良部島で、下宿から民宿、そしてホテル経営をし、空いている時間は仕出し弁当を作り・・
寝る間も惜しんで働きづめの母でした。
全員に仕送りをして教育を受けさせてくれました。
困難に出合う度、「こんな時、母ならどうするだろうか?」と思うと、答えがすぐに出ます。
そして「母の子ならできるはず!」と自分で自分を励まし乗り越えてきたように思います。
母が私たちの事を分かってくれた事、嬉しくてなりませんでした!
ーーーーーー26年前、出張先で突然、52歳で亡くなった夫。
もしかその日が夫との最後の日だと分かっていたら・・
もっともっと「ありがとう」と、「幸せだったよ」と、伝えたかったです。
いつ終わるかもしれない限りある命!
誰にも明日が必ず来るという保証はありません。
心にかかる事は、早く解決しませんか?
素直に「ありがとう」や「ごめんなさい」を伝えませんか?
面と向かって言いにくいようでしたら、手紙に書いてはいかがでしょうか?
手紙だと素直な気持ちで書けます。
会いたい人には、すぐに会いに行きませんか!
村山 順子 さん 鹿児島県沖永良部島出身
13歳のときに単身で沖永良部島から神戸に出てきて就学。短大卒業後小学校の教諭となる。青春時代を子供たちとの学校生活で過ごし、結婚のため退職、専業主婦となる。
夫の急逝をきっかけに52歳で家事代行サービス会社を起業。起業を決意するきっかけが、夫からの手紙だったことから、多くの人に手紙で大切な人に素直な気持ちを伝えて欲しいと「心を届ける手紙のセミナー」を2004年よりはじめる。
手紙のセミナーは、2019年には全国47都道府県で開催され、2021年現在10,000人以上の方が参加されています。
「60歳の約束 見えますか、聴こえますか、これでいいですか」(創英社/三省堂書店)
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